なぜやりたいことができないのか
「要するに本当にやりたいわけじゃないから」
というのが自己啓発書などの結論だ。
そうなのかもしれない。
レンタルサーバを契約して2年半も料金だけ支払って何も書いていなかったのと同じように、今、エクササイズのプログラムを契約して、3日ほどしかやらないまま、月額料金を3ヶ月分支払い続けている。
やろうと思って、契約するというところまで行動できたのは良かったと思うのだ。
サーバ契約にせよ、エクササイズにせよ。
大事なのはそこから先、ブログ記事を書く・エクササイズをやる、そしてどちらも継続するということで、こっちがメインディッシュのはずだ。
それなのにいつも、アフィリエイトブログを運営してこういう記事を書いてこのくらい儲かったらいいなとか、このエクササイズを続けて広告の通りこういう体型になったらいいなとか、そういうことを妄想している時間はたっぷりあるのに、いざ時間ができたときにやろうと思えない。
アフィリエイトブログなんて本当はやりたくない。宝くじが当たればいい。
エクササイズなんて本当はやりたくない。何もせずに理想の体型になりたい。
結局は、そんな風に考えているからだ。そしてそれはそれで、そういう風に生きている魅力的な人だってたくさんいる。でも私は、やらない自分を「それはそれでいっか」とは思えなくて、「せっかく時間があったのにただだらだらしただけ。結局私は何もできない」と自分を責めて終わる。
これじゃ自分で自分を苦しめているだけだ。
いろんなことを達成する人というのは、「宝くじが当たったらそりゃいいかもしれないけど、当たらない可能性の方が高い。でも自分は絶対にこれをやりたいから、そのために行動する」というマインドなんだろうな。
一方で「目的意識なんかなくてもいいじゃない。人生の幸せは達成や成功の中だけにあるわけじゃないよ~」という価値観の人もいて、それはそれで自分を満足させる方法を知っていて、幸せを感じられるマインドを持っているんだろう。
どちらかといえば前者の価値観なのに行動がともなわず、後者のように満足することもできない。
常に何かが足りていない気がして、何かやらなきゃいけない気がして、でもやるのは面倒くさくて、人生が劇的にいい方向に進むきっかけを待ち続けている。
「白馬の王子様症候群」という言葉を聞いたことがあるが、白馬の王子様が迎えに行くのはお姫様であって、何の努力もしていない私ではない。
ひとえにめんどうくさい。
それでも、何もしなければここからどこにも行けないから、何とかして重い腰をあげて、自分を前に動かしていこう。
某有名企業の創業者メッセージが私にはとても響く。
自ら機会を創り出し、機会によって自らを変えよ
リクルートグループ創業者 サンドラ・サッチャー